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1908
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小平浪平(※)が日立鉱山修理工場をスタート。
電動機等を修理、製作。 |
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※ 株式会社日立製作所の初代社長。栃木県に生まれ、
東京帝国大学(現在の東京大学)電気工学科を卒業。鮎川義介と親交がありました。 |
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1910 |
鮎川義介(※1)が戸畑鋳物株式会社
(※2)設立。
可鍛鋳鉄による継手を製造。 |
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※1
日立金属の前身である「戸畑鋳物株式会社」を設立した創始者。
東京帝国大学(現在の東京大学)機械工学科卒業。明治の政治家・井上馨を大叔父に持ち、
日本水産の創始者国司浩助や久原鉱業社長の久原房之介などと姻戚関係にある一族に生まれました。
大変な努力家で、本場アメリカに行って可鍛鋳鉄について勉強した経験もあります。
※2
東洋初の可鍛鋳鉄製造会社として設立、創始者・鮎川義介。
日立金属のルーツです。
初めて手がけたのは、マレブル(黒芯可鍛鋳鉄)継手。
継手の表面が瓢箪のように滑らかであってほしいという思いを込めて「瓢箪印」をトレードマークにし、ヒット製品となりました。
現在の九州工場(福岡県)と真岡工場(栃木県)の前身です。 |
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1916 |
錬鉄、鋼鉄の製造・販売及び委託販売していた雲伯鉄鋼合資会社
(※)を
株式会社安来製鋼所に組織変更。 |
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※
現在の安来工場(島根県)の前身。
日本古来の製鉄法・たたら製鉄で作られたたたら製品の製造販売をしていました。
技術が進歩しても、特殊鋼に特化し「YSSヤスキハガネ」として、
今でもその製鋼技術が生かされ、エレクトロニクス関連の製品も生み出しています。 |
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1921 |
当時としては珍しい電気炉による可鍛鋳鉄製造開始。 |
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1922 |
株式会社木津川製作所(※)設立。
戸畑鋳物から継手営業・商標権譲渡。 |
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※
現在の桑名工場(三重県)の前身。鮎川義介が大阪に設立。
「瓢箪印」の商標を戸畑鋳物株式会社から譲渡され、継手を製造していました。 |
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1924 |
農業用・工業用・船舶用石油発動機(現ディーゼルエンジン)製造販売開始。 |
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1926 |
株式会社木津川製作所、帝国鋳物株式会社(※)を吸収合併。
帝国鋳物株式会社と合併後東洋一のロール工場と言われる。 |
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※
現在の株式会社日立金属若松(北九州市、旧・若松工場)の前身。ロールを製造。1926年に戸畑鋳物株式会社に吸収合併されます。 |
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1931 |
久保田鉄工所からダット自動車経営譲渡。 |
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1933 |
自動車製造株式会社設立。 |
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1934 |
株式会社安来製鋼所を吸収合併。 |
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1935 |
国産工業株式会社(※)に社名変更。
日産自動車株式会社がスタート。 |
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※
戸畑鋳物株式会社は事業分野を広げた活動に社名が相応しなくなり、
国産工業株式会社に社名を変更します。 |
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1937 |
株式会社日立製作所との対等合併(※)
鮎川が政府より満州の重工業立ち上げの要請を受け、
以前から関係のあった日立製作所の小平浪平に国産工業株式会社の経営を頼む。
(国産工業傘下8工場のうち7工場を移管)
- 戸畑(継手) → 現九州工場
- 若松(ロール) → 現株式会社日立金属若松(旧若松工場)
- 深川(マレブル)→ 現真岡工場
- 木津川(継手) → 現桑名工場
- 安来(特殊鋼) → 現安来工場
- 戸塚(電話機) → 現株式会社日立製作所
- 尼崎(重機) → 現株式会社日立プラントテクノロジー
- 富士塗料製作所 → 日産化学工業株式会社に譲渡
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※
鮎川義介は国産工業株式会社の経営を親交のあった小平浪平に任せ、
日本政府から委任された満州(現在の中国東北部)における重工業の立ち上げに専心しました。 |
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1956 |
株式会社日立製作所より鉄鋼部門を分離(※1)。
社名を日立金属工業株式会社とする。
株式会社日立製作所より電線部門を分離。
日立電線株式会社がスタート。 |
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※1
1956年(昭和31年)日立製作所の鉄鋼部門「戸畑・若松・桑名・安来・深川」の5工場が「日立金属工業株式会社」となって分離独立。
ここから「日立金属」としての歴史が始まります。
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1962 |
株式会社日立製作所より化学部門を分離。
日立化成株式会社がスタート。 |
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1967 |
日立金属工業株式会社を社名変更し、日立金属株式会社となる。 |