日立金属トップページ > たたらの話 > 近世のたたら

たたらとは

近世のたたら

技術の進歩

ここでは江戸時代の初めから幕末までを近世とします。
江戸時代に入り世の中が落ち着くと、城下町や大都市の形成に伴って、市民生活に必要な鉄の需要が高まり、製鉄炉の大型化、地下構造の充実が進み、輸送、流通事情も改善されて、鉄生産地はますます中国地方に集約されていきます。同時にたたら炉は大きな高殿の中で操業されるようになり、天気を気にせず一年中生産できるようになりました。17世紀後半のことです。砂鉄の採取に鉄穴(かんな)流し法が考案されたのは遅くとも17世紀前半頃とされていますが、戦国時代末までさかのぼれるかもしれません。これによりかなり能率的に砂鉄を採ることが出来るようになりましたが、それでも不足したため、たたらの操業は年間数カ月だったようです。

鉄穴流しとは砂鉄を含む山砂を渓流に流し、軽い砂は早く下流に流し、砂鉄は底に沈んで溜まる。これを繰り返すと次第に砂鉄の含有率が高くなる。いわゆる比重選鉱法です。それ以前は穴を掘って砂鉄を採っていたようです。

砂鉄採取風景


近世たたら製鉄の完成

近世における最も大きな技術革新は17世紀末元禄4年、出雲)の天秤鞴(ふいご)の発明でしょう。それ以前は吹差し鞴や踏み鞴が使われていました。天秤鞴の採用により炉の温度は上がり、ズクが量産出来るようになりました。これに伴い大鍛冶も整備され、ズク押し法が確立します。

天秤鞴(ふいご)


18世紀中葉にはケラの大きな塊を割る大ドウ(かねへんに胴)が出来、鋼の能率的な生産が出来るようになりました。天秤鞴の使用により温度も上がるので、生成したケラの吸炭も容易となり、優れた鋼を直接製造する近代的方法が確立されました。すなわち、ケラ押し法です。このようにして、近世たたら製鉄が完成したのは18世紀末です。

← Page Back

↑ Page Top