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たたらの歴史

木炭

「鉄山秘書」に「一に粉鉄(砂鉄)、二に木山、三に元釜土」とたたら操業の重要度を書いてありますが、木炭は砂鉄に次いで重要な材料でした。砂鉄が良くても炭が悪ければ鉄は涌かず、砂鉄が多少悪くても炭が良ければ鉄が涌くとしたものでした。

一般使用の木炭は、高温度(約1000℃)で焼いた堅い白炭、低温度(400〜800℃)で焼いた軟らかい黒炭、それに消炭に分けられますが、たたらで用いる炭は少し違っていました。たたらでは炉で鉄を製錬するのに用いる炭を大炭、鍛冶に用いる炭を小炭といいます。 大炭は黒炭に似た方法でつくりますが、焼く温度がさらに低く、半蒸のものが多く、炭としての質は劣悪なものです。それは固定炭素が少なく(60%以下)、揮発分が多い(30%以上)方が、火力を上げるのに都合が良かったからです。「鉄山秘書」によれば大炭には松、栗、槙、ブナが良く、しで、こぶし、桜は悪く、椎、サルスべリは最悪としています。そのほかクヌギ、楢、雑木も良く使われています。 小炭としては松、栗、栃、杉は至極上々で、しで、椎、槙、樫(かし)、橿(もちのき)は良くないとされました。小炭の焼き方は地面を掘り込んだ凹地に木を積み、火をつけ、燃え尽きんとする時に柴木、笹や土を打ちかけて蒸し焼きしました。小炭の場合、生木からの歩留は約10%、大炭の場合は約20%です。

代表的な木炭の断面の組織写真を下に示しますが、松が如何に燃えやすいか分かるでしょう。

松(広島県三良坂町白ケ迫製鉄遺跡より出土)



しで(島根県玉湯町玉ノ宮一号たたら遺跡より出土)



水まき(広島県大朝町門前遺跡より出土)

(注)上の3つの写真は、同じ倍率で撮影したものです。


たたらの全盛期には一カ所のたたらで年平均60代操業しました。消費する木炭は約810トンで、それだけの量の木炭を確保するには少なくとも60町歩の山林が必要でした。木材の成育には約30年かかりますから、鉱山師は一つのたたらで1800町歩(1800ha)、数個のたたらを持てばその倍数の山林を必要としたのです。鉄山師はもともと大水田地主でしたが、藩有林の占有を許可され、藩の助成のもとに計画的な山林の伐採、育成を計りました。江戸時代後期において中国山地が日本全体の鉄の約90%を生産する供給基地となったのも、このような背景があったからです。

たたら炭の炭焼き担当者を山子(やまこ)といいます。山子は旦さん(鉄山師)の手配で山を割り当てられ、炭焼きに専念しました。山子の職は職に精を出せば相当な儲けになったようで、山子で生計をたてられない者は「穀潰しにして召し抱えるべからず」とされたものです。

木炭には2〜3%の灰分が含まれています。この中には30〜40%のCaO(酸化カルシウム)、約3%の燐分があります。これらの含有量は木の種類によって変わりますので、これらがたたら炭の良否に影響を与えているのかもしれません。

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